震災の記憶〜東日本大震災直後の日記〜

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これは震災から2年後、ラジオの仕事で相馬の港にいった際の写真です。津波の爪痕があの当時も残っていました。

2022年3月16日23時30分ごろ、福島県沖を震源とするM7.3の地震が発生。福島県内は最大震度6強を記録しました。僕が住む郡山市は震度5強。昨年2月13日の福島県沖地震で震度6弱。けど印象的には今回の方が強かった感じです。

2011年の東日本大震災は震度6弱。あれから11年経ちました。以下に当時mixiに書いた日記を載せます。書かれた日付は2011年3月13日です。

みなさま、こんばんは。ケータイはこれっぽちも繋がらず、余震が怖いので両親と一緒に寝てたらいびきがすごいので(笑)パソコン叩いております。時間が経てば経つほど被害状況の大きさに驚きを覚え、テレビ報道で家族を探し途方にくれる人々の姿を見るたび、自分の非力さを思い知るばかりです。とりあえず、郡山はブロック塀が崩れたり、家屋の損壊、火事等ありましたが、今のところ被害状況としては、ほかの地域ほどひどいという感じではない、というのが僕の実感です。郡山市中心部は、断水もなくなるということですし、停電も現在はないですし、とりあえず以前の生活を少しずつ取り戻している、という感じです。

11日14時56分。僕は銀行で両替を終え、店に戻るときに震災に遭いました。ちょうど宝飾店の角を曲がったときに揺れが始まって、まわりの店の人々が道路に飛び出していました。もとの福豆屋のあった、現在は燦という飲み屋さんが入っているビルがガタガタ揺れ、壁が崩落していたのを周りにいる人々と見ました。そして「なんでいつまでも止まらないの、この地震」と感じました。おそらく、周りのどの人々もそう思ったことでしょう。なぜなら、郡山は地震の被害があまりない、地盤のしっかりした土地であり、地震保険では等級が一番低い…要するに掛け金が少なくてすむ街だと、昔から住む人間であれば誰もが知っている、そんな土地だからです。

僕が心配したのは、自分の店のことでした。なんせうちの母親が一人で今も店にいるわけですから。揺れがひととおり落ち着いたところで戻ると、店はとりあえず無事でした。が、大きい余震が何度も続き、店の周りの人々も道路に出ていました。みな恐怖におびえてました。隣の薬局はガラスが損壊。その隣のビルも壁がはがれましたし、NTTに向かって行くとある美容室さんも、ガラスが損壊していたみたいです。とにかく地震があってからは、周りの店は仕事にならないと店を閉め、家路に着いていました。また余震が続いている間は車の渋滞もひどかったです。我々は、地震後2時間ぐらい経ってから帰ったので、そういったことはなかったのですが4号線は上り下り、渋滞でした。

家に向かいながら「そうだよ、家のブロックとか壊れてたらアウトだな」なんて母親と話ながら家に戻ると、特にブロックが壊れたというような家の外側が目に見えて壊れている、というのはなかったです。ただ、家の中は散乱してました。鍋やら食器やら壊れたのも結構ありましたし、家の内部にはひびなども入ってました。そして自分の部屋に戻ると本とCD、散乱の嵐(笑)。オレのこの部屋は本とCDしかないんかい!と突っ込みたくなるぐらいの散乱。たしかに、それしかない部屋なんだけど。

昨日、自宅は水が出たので(現在は復旧)、夜、ポリタンクに水をため、店にあるだけそばを売りました。やはり、コンビニの食べ物はまったくない状態。吉野家等も水がないので店が開けられなかったらしく、周りでわが店が営業しているのを知っている人々はもちろん、新幹線が動かないため足止めを食らった人々がわが店に押し寄せました。タレがなくなる14時まで売り、帰宅。知り合いの店に寄って、元気かどうか確認し、(コミュニティ)FM局に寄ってスタッフ等が元気かどうか確認をし、駅前の状況をチラッとラジオで語って(語らされ?)うちに戻りました。

あの地震から24時間以上経っていますが、いまだに現実感を伴っていません。確かにあった出来事なのですけど、なんだか本当のことだか感覚として捕らえきれてない気がします。しかし、テレビやラジオの報道を見たり聞いたりする限り、これは現実なのですね。生存の可能性のある限界の72時間があと36時間程度で来ます。一刻も早く、行方不明者の皆さんが救出されることを願っています。希望は持ち続けるべきです。

…と、一部編集しましたが、ほぼ当時のまま載せました。そばを売ったとあるのは、当時は実家の仕事をしていたからです。たぶん津波の被害が報道され、震災後何回もAC JAPANのCMが流れ、原発が爆発した…あの当時の焦燥感みたいなものが伝わりますかね。郡山市は死亡者が一人という奇跡的な人的被害だったんですが、建物の倒壊は結構あって、既に更地になっているようなところも多いです。

いくら時間が経っても地震には慣れません。今回被害が大きかった相馬、新地町あたりの復旧が早く進むことを願うばかりです。

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